――舞台『モンスター』の出演オファーを受けた時の心境を教えてください
お話をいただいた時は、『モンスター』というシンプルなタイトルに惹かれました。『モンスター』という題名の作品は世界に多々ありますが、何をもってモンスターを描くかは作品それぞれの色んな個性があると思います。この作品は分かりやすい脅威のモンスターではなく、どこか潜在的なモンスターを描くのではないかという期待のもと、お話を受けさせてもらいました。

――台本を読んでみた感想は?
初めて台本を読んだ時に、勝手に僕が描いていた予想は合っていたなと思いました。潜在的なモンスターであり、自分たちの日常に潜んでいる表裏一体な怖さだったり、モンスターという言葉がもしかしたら他者ではなく自分に向くような、素敵な作品だなと思いました。それと同時に、これは客席から観たら最高で、演じる役者はそのレベルまで行くのにすごく大変な高い山を登ることになるのだなと。正直に言ってそのモンスターに恐れおののいているのは僕なんじゃないかなと思っています。

――トムという役についてどのように捉えていますか
一言でいえば、トムもまたモンスターだと思っています。でも、観ている人はトムを見てすぐにモンスターだとは感じないと思います。トムという役がいるからこそ、モンスターという恐ろしさや狂気は全ての人の中にいるんじゃないですか?あなたが街中ですれ違う人たちもモンスターで、あなたもモンスター、となると逆に脅威って身近じゃないですか?というような問いかけをするキャラクターになるのではないかと個人的には考えています。

――トムをモンスターと捉えているのは興味深いです
松岡(広大)さんが演じるダリルがおそらくモンスターと呼ばれる存在ですが、僕個人的には4人全員がモンスターだと思っていますし、その周りにいる人たちもきっとモンスターなんだろうなと思います。若い人はあまり分からないかもしれないですが、「私もサザエさん、あなたもサザエさん」という歌詞みたいなもので。あなたもモンスター、私もモンスターとなると、1周回って狂気に寄り添えるんじゃないかと感じます。

――トムに共感する部分はありますか?
共感性はあります。ただ、トムの感情や突発性みたいなものに対して、僕の中で言えばこれかなというような繋がりはあっても、トムと同じ感情ではないです。どれぐらいの割合で共感して、どれぐらいの割合で分からないと思ってやるか、その配分はこれから変わってくるのかなと思います。大きな罪を犯す役も、90%くらいはよく分からないけど10%くらいは多分わかる、みたいな。その分量は役と作品によって変動するものなので。

――人間誰にでも光と闇があると思いますが、風間さんご自身は自分の闇の部分に対してどのように思っていますか?
なんか好きです。僕の役者としての系譜として、若かりし頃にダークサイドを描いた役をたくさんやらせてもらいました。30代ではどちらかというと、すごく光が当たっているキャラクターを多くやらせてもらって。どちらもたくさんやらせてもらったことによって、良い役と呼ばれるものを演じた時に、この人の闇はどこなんだろうなと探し、時に悪い役と呼ばれるダークサイドの役を演じた時は、この人にとっての光はどこなんだろうと考えます。なので、僕自身も自分の中のダークサイドはすごく大切にしてあげたいなと思っています。人前に立つ仕事なので、誰かを傷つけない言葉を発するように心がけていますし、皆様にはいつも光が当たっている面を多く見ていただきますが、一方で、それを少し残念に思うくらい、僕はちゃんと色濃く闇を持っている人間です(笑)。その闇の部分を垣間見ていただけるのが演劇やドラマや映画ですね。

――トムをモンスターと捉えているということは闇の要素が強いのかと思いますが、そんな中トムの光は何だと思いますか?
トムは一見ものすごく理性的な人間に見えますが、それは(闇を)無理やり押さえつけている理性で、だからこそ反発が起きた時の衝動性が大きい人間だと考えています。その衝動性を抑えようとしていることがトムの光です。でも、それは間違っていると僕は思っていて、適度な漬物石ぐらいの抑えだったら良いですが、ぐーっと抑えつけてしまっているからバネのように跳ね返ってきてしまう。トムが理想の自分やあるべき自分になろうと努力する姿というのは光ですが、それが抑圧になってしまっているんです。光だけどそれを希望にしちゃだめだ、と近くに居たら止めるような危うさかなと。これは僕好みの光の話でした(笑)

――トムを演じる上でどういった演技プランで臨もうと考えていますか?
これは翻訳だからなのか?と疑問に感じるくらい、この戯曲は会話がずっと成り立っていないんです。でも読み進めていくと、これは確信的であると気づきました。ステージ上でディスコミュニケーションが繰り広げられ、役者はのたうち回るだろうなと。なので、逆に演者である私たちは稽古場で信じられないくらいのコミュニケーションを取らなければいけないなと思いました。4人のチームワークがどこか綻んだ瞬間に大変なことになるので、僕を含め4人でしっかりとしたコミュニケーションを取ろうというのが、この舞台に挑む心づもりです。

――のたうち回ることになりそうな難解な作品に立ち向かうため、何が必要だと思いますか?
稽古に挑む前の僕が今、必要だと感じているのは客観性です。トムという役に没入すればするほど、会話が成り立っていないことに気づいてしまうんです。でも、会話が成り立っていないことに気づくのはあくまでも観客の皆様であって、ステージ上にいるトムたちはそれに気づいていないんです。僕の経験上、役者としてその役に没入していくと、相手の話をちゃんと聞いて、そこで言葉が生まれてきます。けど今回はそれぞれが自分の話をしたり、相手の話をしているようで自分の話をしているので……だからあまり相手の話を聞いちゃいけないんだろうなと思います。ディスコミュニケーションの世界だけど、ディスコミュニケーションに気づかない状態を作り上げるので、現段階ではどこか客観性がほしいなと考えています。

――観客の方が俯瞰的に観られるので、観客が一番楽しめるということですよね
そうなんです。僕が客席に座りたかったと言っているのは、多分それなんです。このインタビュー記事を読んでから観に来てくださる方々は、そういうことか、と納得すると思いますが、そうじゃなく何も知らずに客席に座った人は最初にすごく違和感を覚えるはずです。でも、途中で確信犯的なディスコミュニケーションに気づいて、その瞬間から役者の妙を感じるはずなので、観ていて面白いだろうなと。

――会話にならない会話な上に、膨大なセリフ量となっていますね
本は読み物としてとても面白いなと思いながらも、現状セリフを覚えられる気がしていません……。物量の問題ではなく、会話が成り立っていないからです。台本の覚え方をよく聞かれることがありますが、普通は「今日は良い天気だね」「そうだね、夏も終わりだね」のように会話が関連付いているので、一連の会話として覚えていくんです。だけど、これが(今回は)会話が成り立っていない。例えば、野球の話をしていて食事の話をするとか、それぐらいかけ離れていたらそれはそれで覚えやすいと思います。今回は会話が一見成り立っているんです。それが恐ろしくて!今まで経験したことのないお芝居に挑戦することになりそうです。

――本作は4人芝居ですが、共演者の方々とはどのようにコミュニケーションを取っていこうと考えていますか?
4人で作り上げるシーンというのが無く、基本は1対1のお芝居が続いていきます。2人揃えば練習できるので、このお三方を捕まえて稽古をするしかないなと思っています。

――かつ、トムがより皆さんと対峙するシーンが多いんですよね
そうなんです。トムがターミナル駅みたいな感じになっているので、できる気はしていないです(笑)。今から稽古をやり始めたらちょうど良いくらいですが、そういうわけにもいかないので、心づもりだけしっかりしておきます。

――風間さんから見てダリルはどのような存在に感じましたか
世の中のニュースで分かりやすくモンスターと呼ばれる現象は、刃物を持っていたり暴れまわっていたり。一方でダリルのようにそこに居て何かをするわけじゃないけれど、そこはかとなく怖いという存在は、最も対処しがたいという意味では一番モンスターなのかなと思います。ダリルの佇まいや風貌からもモンスターであると感じます。

――共演者の方々が演じる役柄について、楽しみにしていることはありますか?
松岡さんがお芝居をしたら、ダリルとしてそこはかとない狂気性と恐ろしさを出してくれると思います。ルッキズム批判の時代であえて言わせてもらうと、精悍な顔つきの人が狂気性を持ってそこに立たれたら、きっと怖さは倍増すると思います。そして、ダリルの松岡さんとジョディの笠松(はる)さんが対峙する瞬間がすごく楽しみです。この作品で一番緊張感のあるシーンなので、二人が対峙した時の笠松さんの受けのお芝居が楽しみです。
また、この作品で面白いのが、クレーマーとか、世の中で気軽に言われるモンスターは那須(佐代子)さんが演じるリタなんです。だけど僕の中ではこの4人の中でリタというキャラクターが一番まともな人だと思っていて。街で大声で怒鳴っていたり暴論を言う人が実は一番正常かもしれないという、一番質が悪くて一番まともというキャラクターを那須さんがどう演じてくださるのかもすごく楽しみです。

――風間さん自身は、自分がモンスターだなと感じたことはありますか?
僕の怒りは遅効性というか、怒りを感じてもそれが感情の変化としては小さかったりするので、一回自分の中で精査するんです。それで時に1時間、時に1週間、時に半年くらいして、やっぱり怒ってるな?と思います。そんな自分を怖いなと感じます(笑)。すごく小さなことで言うと、お店などで「あれ?なんなのそれ?」という事が起きて、でも一旦精査するんです。これはこっちが悪かったのかな、相手が忙しかったのかな、もしかしたら昨日すごく嫌なことがあったのかもしれないと考えて、店を出て、次の場所に行って、全部差し引いてもやっぱりダメだなと思った時に、一瞬浮かぶんです。この後空いた時間にお店に戻って「すみません、さっきの件なんですけど」と言いに行こうかなって。そう思っている時の自分はモンスターだなと感じます。突発的に怒る人の方がマシな気がします。

――この作品が今上演される意義や意味は何だと思いますか?
今の時代は特に潜在的な鬱屈が溜まっている状態だと思います。コロナウイルスの蔓延があり、経済的な問題があり、それが世界中で表面化していて、日本で生きていてもそれが色濃いなと感じます。そういう意味では、今の人たちに観てもらうのはとても意味のあることだと思います。一方で、これから演じる役者が言ってはいけないのかもしれませんが、きっと一番観てもらいたい人たちは劇場に来てくださらないんじゃないかと僕は考えています。このお話に興味を持って劇場にいらしてくださる方々は鬱屈としたものが溜まっている恐怖心だったり、それに気づくアンテナを張っていらっしゃる方々だと思いますが、それに気づいていない人たちが一番危ういところにいるのではないかと。一番怖いことですが、「『モンスター』という作品を今の時代に上演する意味はありますが、多分一番届けたい人たちは観ないと思います」という構造がまた面白いなと思ってしまっています。

―― 一筋縄ではいかない作品ですが、楽しみにしていることはありますか
演者として超怖いと思いながらすごく楽しみにしています。また、新国立劇場でやるのにぴったりな作品だと思います。僕が新国立劇場に観客として観に行く時は「楽しかった、明日も頑張ろう」みたいな爽快さを求めていなくて。どこか自問自答だったり、これからの自分を考えたり、自分の中の教養や栄養素を求めて行っています。だから新国立劇場にぴったりではありますが、高いレベルを求められるので、気合いを入れて大きなものに挑むワクワクと恐ろしさを持っています。

――風間さんは舞台だけではなく映像作品もたくさん出られていますが、その中で舞台の魅力はどのように感じていますか?
映像作品はドラマだったらテレビの前、映画だったらスクリーンの前と、僕たちも皆さんと同じ観客席に座ることができます。舞台は当たり前ですが、自分がやっている芝居を観客席から観ることは一生無いので、そういう構造上の違いがいつも面白いなと思ってやっています。

――舞台に出演する時に、意識していることはありますか?
生ものであるということですね。今の時代はライブを同時にストリーミング再生などで観ることができたり、エンターテインメントをどこにいても楽しめるようになってきましたが、舞台はアナログじゃないですか。今まではアナログの方がデジタルよりも不便で原始的でしたが、色んな手法が増えてきたことによって、アナログが贅沢品になり始めている体感があって面白くて。だから劇場に来てくださる方たちと過ごす時間は、テレビに比べたら少人数だし、毎回同じことはやるけれどもちょっとずつ違うし、と思った時に「今日来てくださったあなたたちだけのためにやらせていただきますし、あなたたちに観てもらう私たちも今日だけですよ」という新鮮さを感じています。

――ありがとうございます。最後に観に来てくださる皆様へメッセージをお願いします
この物語のキャラクターたちはすごく不安定なところにいますし、それを演じる役者たちもきっと一つの歯車が狂うことを恐れる、かなりスリリングな舞台になると思います。安全なのは皆さんに座っていただく観客席で、その安全な場所から不安定なものを観るという快感や幸せを、ぜひとも皆さんに楽しんでもらいたいです。

文:村松千晶
撮影:秋葉巧