1995年4月15日に放送を開始し、記念すべき放送1500回目は、『「出没!アド街ック天国」祝!放送1500回 30周年SPECIAL』と題し、30年のよりすぐりの名場面を秘蔵映像とともにベスト30で振り返る。放送には、レギュラーの峰龍太、薬丸裕英、山田五郎、そしてゲストに渡辺えり、伊集院光、磯村勇人、池田美優が出演。

取材会は1500回記念の収録が終わった直後に行われ、井ノ原は「3時間半じゃ足りないんじゃないかというぐらい、この30年間の街の変わりようや、登場人物もすごい人がいっぱい出てきます。30年の思い出は3時間半じゃ語りつくせないんじゃないかと思いますけども、またこれが綺麗にまとまって、見応えがありましたね。これは30年かけないとできないスペシャルだなと思いました。ぜひとも皆さん、リアルタイムで見ていただきたいと思います」と太鼓判を押す。

昨年の4月より5代目MCに就任した中原は「ずっとアド街に付いていたような感覚になったというか、街を覗く感覚ってこんな感じで、30年も一気にぶわーっと知れたようで、ちょっと感動しちゃいました。うるっとくる場面が何度もあったりして、でも笑いあり、涙あり、みたいな」と感想を語る。

「僕なんか、まだ10年なんですよね。でも、その前に家で見てたやつとかがVTRで出て、その時はまだMCじゃないのに『はいはいはい』とか言っちゃう。恥ずかしくなっちゃって、何で知ってるんだろう、テレビで見てたんだ、と思って。だから、家で見てるのかスタジオで見てるのか分からなくなるぐらい、自分のものになっちゃってるんだよね」と、2代目宣伝部長に就任して10年が経つ井ノ原が感慨深げに話すと、中原も「出てくださっている皆さんも笑顔が素敵ですし、アド街を迎え入れてくださっているような、むしろ来てよ、みたいなウェルカムな感じが本当に温かいなと。『人が街を作る』って峰さんもよくおっしゃいますけど、本当にそれが感じられました」と共感した。

井ノ原にとって「出没!アド街ック天国」はどのような存在か?という問いかけには、「当たり前のように歩いていた街が当たり前じゃないということだったり、自分の住んでいる街をもう一度見直すきっかけなったり。無くならないでほしいなというところにどうやってアプローチすれば、僕も何か協力できるのか、そういうことを考えさせられる10年でした。個人的にはレギュラーの峰さんと五郎さんと薬丸さんに、人として、男としてとても支えていただいて励ましていただいたこともあるし、テレビ東京のアナウンサーの皆さんに助けてもらってきたというところもあって」と振り返る。「僕としては、まだ10年なんですけれども、40周年、50周年、60周年は80歳手前ぐらいですかね?分からないですけどいけると思います。だから、そのためにも魅力的な街は残っていてほしいし、この番組が30周年からこの先に進むにあたって、どれくらい本当の意味で地域密着になっていけるかと思うし……」と未来の展望も話しながら、「僕は今、ありがたいことにテレビは『アド街』にずっと居させてもらっているので、これからもずっと自分の人生と共にあり続けてほしい番組です」と話す。

「仕事なんですけど、仕事っていう感覚でスタジオに来てないというか、なんかふわふわやってるじゃないですか、皆でね。楽しいし、家族って言ったら良いのか、そういう感じの感覚があって、10年前に僕にお声がかかった時、自分は他所から来ましたって気持ちで最初は居ちゃったんですけど、もう僕らの番組だねって胸を張って言えるし、中原さんも来てくれた時に、すごくフレッシュなんだけど、僕が育った下町にいそうな雰囲気も出してくれるんですよ。だからきっと『アド街』の視聴者の皆さんからもとても愛されるキャラクターだなと思うし、こうやって先輩面していますけど、僕も非常に助けられて、育ててもらっています。ありがとうございます」と感謝を伝えると、中原は「こちらこそありがとうございます」と恐縮しながら、「私は普段報道番組をメインにやっていて、ここに来るとほっと肩の力が抜けるんですよね。それはなぜかというと、もちろん井ノ原さんもですし、レギュラーの皆さん、あとゲストの皆さんから色んな情報をいただけるということ。それがただ聞いているというより、教えてもらっていて、それも柔らかい雰囲気の中で、一緒に家の中でくつろいで、テレビを見ているみたいな、パブリックビューイングみたいな感じでアド街を見ているような感じが私は好きですし、落ち着く場所で、自分にとってはこれからもずっとそういう場所であってほしいな、何十年も続いてほしいなという番組です」と想いを語った。

放送では、30年の歴史の中で紹介した街も様変わりし、消えた街のシンボルや再開発のBEFORE AFTERなどを紹介。大行列していたあのお店や、忘れられない名物店主などの昔と今、選りすぐりのグルメも登場する。
さらに、秘蔵映像も続々と放出。町屋の野球少年だった「鈴木誠也」や、王子神谷の駄菓子屋さんに映っていたテレビ初登場時の「みちょぱ」の映像など、ここでしか見られないスペシャルな3時間半となっている。
名場面の中で印象に残ったVTRについて聞かれると、井ノ原が「1995年からスタートしているわけですよね。私事ですけど、僕も歌手デビューして30年、1995年にデビューしているので、あの頃の渋谷こうだったよなとか、よくメンバーと移動しながらとか、待ち合わせして、皆で1台の車に乗って行っていた場所とかが出てきたり。街の変わりようと、あとギャルの変わりようが。その移り変わりが、他で見れないだろうなっていうような映像がすごかったです」とコメント。
テレビ初登場時の「みちょぱ」の貴重映像にについて井ノ原は「まだ芸能界にいなくて、駄菓子屋さんに行っていたところを取材に来ていて、10歳のみちょぱが本当に可愛いの!」と話し、中原も「まだギャルじゃないみちょぱさんですよね。あどけなかったです」と頷く。
さらに井ノ原は、「一番は、これは寂しさもあるんですけど、移り変わっていく街並みですかね。慣れ親しんだ建物や景色が、変わってしまったという言い方になってしまいますけど、そこでいつも皆さんと話すのは『これから先、本当に変わらないでほしい』『景色は変わらないでほしいよね』と。それを誰に言って良いか分からないんですけど、(街を)開発する時に、それが僕はこれからのおしゃれだと思っていて。例えば海外に行っても、近代的なものは日本で見慣れているので興味ないですよ。だけど、田舎町とか行った時に、この国にもこんな路地とかあるんだとか、そういうところで一つ物語が生まれているような気がするんです。そういう場所が街を作っているような気がするので、ぜひともこれからの子どもたちには、しっかりとアド街を見ていただいて、俺が大人になった時は、この景色変えないぞっていう気持ちでいてほしいなというのがすごく強く思った回でした」と、移り変わっていく街へ想いを馳せる。

そして、歴代アシスタントMCを務めた八塩圭子、大江麻理子、須黒清華、片渕茜も集結。中原は「正直緊張して覚えてないぐらいなんですけど…八塩(圭子)さんがチャキチャキ仕切っていて、すごかったですね。かっこよかったです。皆さんが当時初めてアド街に出た時のVTRを見ていたんですけど、皆さんが初々しくて、一緒に見ていて「うわ、恥ずかしい!」とか言いながら、その失敗する姿とかもとても愛らしいですし、そこから徐々にMCとして番組と一緒に成長されている姿を見ていて、さすが長年続いた番組を仕切られた方々だなと、勉強になることがたくさんありました」と感想を述べ、その姿を井ノ原は「緊張しながらも精一杯やっていて、僕はそれをちょっと誇らしく見ていました」と温かく見守っていたようだった。

最後に、井ノ原からメッセージ。「まず、視聴者の皆さんがいなければこの番組も30年続かなかったと思いますし、これから先、テレビのこれからってどうなるんだろうというのをちょっと後ろ向きに語っている方もいると思うんですが、僕は子どもの時からテレビで育っていて、今はどこを見ても色々ネットだったりとか、すぐ次の回、ってどんどん見られるじゃないですか。でも、テレビというのはものすごくツンデレで、来週まで待たなきゃいけないというのは、他にないと思っていて。「この続き、来週まで待たなきゃいけないの?」ってもだえ苦しむ小学校時代とか中学校時代とか思っていて、これってむしろテレビしかない感情なんじゃないかなと思うところもいっぱいあって。あとは、色んなメディアで取り上げられても、『我が街にテレビが来たんだ』という時のざわつき方がやっぱり全然違うなと。特に今は自分の番組でMCやらせていただいていますけど、僕の周りの知り合いでも「アド街が来たんだよ』『ウチの街、今度アド街やってくれるんですよ』って。この間も新江子田の知り合いが『ありがとうございます』って。僕が選んだわけじゃないんだけど感謝されちゃうっていうね(笑)。そういう番組ってなかなか無いんじゃないかなと思うのと、これからの子どもたちとかも、自分の街を取り上げてもらおうよっていうような気持ちで、大人になってくれたら良いなって思います」と熱く語る。そして、「ほっとする、家族全員で見られるような番組、これをモットーにずっと続けていけたらなと。たくさんのスポンサーの皆さんもたくさん協力してくださっていると思いますし、ものすごい数のスタッフの皆さんも頑張っていますので!とは言いながらも、ほのぼのした気持ちで毎週見ていただけたらなと思います」と締めくくった。