――『オイディプス王』が1年半ぶりの再演となりますが、改めて初演を振り返ってどのようなお気持ちですか?
こんなに早く再演をする作品もなかなか無いのではないでしょうか?僕自身、今まで色々な舞台に立たせていただきましたが、再演という形で出演する機会はほとんど無かったと思います。なので、本番まで時間はありますが(※取材は24年11月中旬)、もう既に『オイディプス王』の台本を開くモードには入っています。前回の台本を開いて、日々また格闘しているような感覚です。初演の時はネガティブな部分も多少なりともあって、膨大なセリフ量でもありましたし、とんでもない作品の主演というプレッシャーもありました。再演オファーを聞いた時に、この作品を自分が一度やったのかと、我ながら驚きました。お陰様でオイディプス王として舞台に立たせてもらって千秋楽を迎えたことの経験がすごく誇らしいです。また改めてオイディプス王として生きられること、お稽古がスタートする日をすごく心待ちにしています。

――『オイディプス王』という作品が三浦さんにとって代表作の一つになったと思います。本作がご自身にもたらしたものは?
僕はこの世界に入っていなければ、きっと何者にもなれなかったと思います。自分に自信が持てない生活をしてきましたので、どこかでいつもひとりぼっちな感覚があったんです。ですが、この世界に入ってから、演出をしてくださる方、スタッフの皆さん、キャストの皆さん、そして作品を観て応援してくださるお客様のお陰で、僕が何者かになれる瞬間があるわけです。役の人生を知ること、歴史を歩むことで自分を何者かにしてくれる、自信を持たせてくれるというこの感覚は、この仕事を始めたことで知ったことです。

――プレッシャーも大きかったと思いますが、それだけに自信はつきましたか?
自信は常にありません。自信は僕には無いです(苦笑)。『オイディプス王』の初演時は特に精神的にも肉体的にもボロボロで、お稽古の期間中も本当に皆さんが支えてくださって、何とか舞台に立てました。絶対にこの人たちを後悔させたくない、三浦オイディプスで良かったと思ってもらえなきゃダメだという想いはすごくありました。だから、皆さんに支えてもらって、その瞬間だけは自信を持てていたと思います。今は自信はありませんが、オイディプスになった時だけは、自信を持てると思います。

――人々を魅了する『オイディプス王』という作品のどのようなところに三浦さんは魅力を感じていますか?
僕は石丸さち子さんのもとで『オイディプス王』を演じていますが、過去の上演作がどれほど悲劇的で、お客様が客席から立てないほどの悲劇だったのかということは、感じてもいなければ、拝見してもいないので分かりません。ただ、前回僕が演じた『オイディプス王』は、どこか最後に1ミリでも希望みたいなものを残したくて。悲劇の中でも“生きる”ということをオイディプスは選択したわけですが、あんなことになっても生きるということを選んだ彼に1ミリでも希望を持たせたいと、どうかそういう風に映るように最後を創ってほしいと石丸さんに相談して、2人で創ったのが前回の『オイディプス王』です。再演をどういう形で創るのか分かりませんが、僕が読んだ『オイディプス王』は、悲劇だけど人間としての生き様、そして生きることを選択したところに可能性と希望を感じ、そこが僕にとっては魅力だなとすごく思いました。

――役作りをする際、どのようなことを考えていたのでしょうか?
ギリシャ悲劇のような作品を他の役者さんが演られているものを多く観たことはないのですが、平幹二朗さんのギリシャ悲劇を小さい頃に観させていただいたことがあります。その時、平さんが出てきた瞬間にステージがぶわっと、何かライトでも変わったのかな?と思うほど変わって。平さんが出てきた瞬間のオーラや華だったり、色々なパワーがぶわっと見えて、僕はその平さんから溢れ出る色々なものが衝撃で忘れられないんです。それから何十年と経って、僕がこうして『オイディプス王』でギリシャ悲劇を演るにあたって、平さんのようではなくとも、僕なりの、自分だからできることを改めて再演でも魅せることができれば良いなと。この作品の膨大なセリフだけでも魅力ですが、魅せるという、そこから溢れる何かという部分をお伝えできれば良いなと思います。

――初演の際に役を演じる上で意識していたことはありましたか?
意識したことはあまりなく、意識するような余裕もなかったですし、むしろ何を意識すればいいのかもよく分からなくて……。綺麗事で勝てるような作品ではなかったです。とにかく演出家の言ってくださった言葉や、台本にメモしていること、実際に自分がお稽古場で体感したことなど、色々なことを大切にしていました。だから自分が意識的にこういうことをするというよりは、お芝居を受けることや渡すこと、そういった当たり前のことを、特に大切にしていました。

――では今回の再演も特別意識することなく臨まれますか?
やっぱり自分はお芝居がすごく好きだなとこの1年間で特に感じました。だからこのギリシャ悲劇のすごく魅力的で膨大なセリフ量に追われずに、このセリフを全うしなきゃいけないとか、誰かに言われてやるのではなくて、純粋に自分がこの作品を楽しく演じたい、この役を楽しみたいと思っています。なので、そこは意識的にお稽古できたら良いなと思います。

――オイディプス王を演じる上で、苦戦した部分はありましたか?
日頃聞き慣れていない、喋り慣れていないセリフなので、会話ができていない感覚に陥りました。1人でバーッと喋って、誰かがバッと何かを言って、というセリフの投げ合い渡し合いが全くできなかったり、相手が何を言っているのか分からないということが多分大きいんだと思います。辞書を引いてもその言葉の言い回しが出てくるわけではないので、お稽古を1ヶ月以上やっても、こういう意味だったんだ、こういう感覚になるんだというのは本番に入ってようやく掴めたことでした。普通だったらどんな作品でも、会話は相手がこう言ってきたからこのセリフ、と出てくるわけじゃないですか。そういうところが難しいなと思いましたね。

――音としてまず覚えるといいますか
そうですね。まずは音で覚えます。1個1個意味を調べていくと追いつかないので。意味が分からないから全然出てこないんですけど、人間って面白いもので、だんだん分かってくるんです。そうすると気持ちも自然と入っていくんですよね。そういう経験はこの仕事をしないとできないことなので、すごい経験をしているなと思います。
2024年はお芝居を勉強しようと様々な作品に取り組んできましたが、文字に追われてしまうと気持ちがどこか置いてけぼりになる瞬間があるんです。それを1ミリでも無くしたいというのが今回の目標です。それは言葉が難しいということは関係なく、気持ちがちゃんと乗っていれば、きちんとお客様に伝わると思うので、改めてそこを強化していきたいなと思います。