
映画『雪風 YUKIKAZE』は、その知られざる史実を背景に、太平洋戦争の渦中から戦後、さらに現代へと繋がる激動の時代を懸命に生き抜いた人々の姿を、壮大なスケールで描き出す。「雪風」艦長・寺澤一利役の竹野内豊、先任伍長・早瀬幸平役の玉木宏、若き水雷員・井上壮太役の奥平大兼ほか、戦火に立ち向かう乗員たち。早瀬の妹・サチ役の當真あみ、寺澤の妻・志津役の田中麗奈、志津の父・葛原芳雄役の益岡徹、帝国海軍軍令部作戦課長・古庄俊之役の石丸幹二、そして、実在した第二艦隊司令長官・伊藤整一役の中井貴一ら豪華俳優陣が、今を生きる私たちへとメッセージを繋ぐ。
戦後80年、昭和100年という節目となる本年の終戦記念日8月15日(金)に全国358館にて劇場公開され、週末3日間(8/15~8/17)で興行収入314,592,580円を記録、10億円突破に向け好発進を切り、映画の感動が全国各地に広がっている。
大ヒット御礼舞台挨拶に登壇した竹野内は、「戦後80年という節目に、再び雪風がこの世に送り出されることはとても大きな意味があったのであないかなと思います。戦争映画はいつでも色々な賛否に分かれるとは思いますが、私はどんな作品、作風に仕上がったとしても、徐々に戦争というものを伝える人がいなくなってしまっていて、そのために、多くの人にかつてこういう事実があったと知ってもらうことは非常に大きな意味があるのではないかなと思っております」と挨拶。
上映前の舞台挨拶ということでなかなか内容に触れづらい中、竹野内は「この映画を見た時に、今まで何気なく使っていた“助け舟”という言葉の真の意味を知ることができました。多くの方々が今、助け舟を求めているこの時代にこの本作を作ることができて良かったなと思います」とコメント。
奥平は「若い方々に見ていただきたいという想いがあった中、自分の友人やその周りの人たちで『見たよ』と言ってくださる方が思ったよりも多くて、嬉しいなと思っております」と話し、「戦争映画だけど、今まで見た戦争映画とはまた毛色が違くて、新しい発見があったという感想はいただきました」と反響の大きさを明かす。
「全国の皆様から映画を見た感想が私の方にも届いていまして、すごく嬉しく思います」と微笑む田中は、地元・福岡でのキャンペーンの際に「親戚のおばさんから『お客さんいっぱい入っていたよ』とか、『前の席が小学校高学年と低学年のお子さんだったけど、2人ともすごい真剣に見てたよ』という連絡があって、それはすごく嬉しかったです。小学生から見られる戦争映画というのはなかなかないと思いますし、家族で見て安心して伝えていける映画だと思うので、制作の皆さんの気持ちが伝わったんだなととても嬉しかったです」と語った。
また、舞台挨拶では1945年、10代で駆逐艦「初霜」に電信員として乗艦していた今井桂氏からの特別映像が放映され、映像の中で今井氏は「その迫力と偉大さに頭の中が真っ白になるほどの感激を致しました」と映画を見た感想を述べ、「居住区から通信室に向かう階段の内には救助した中にはっきりと戦死したというのか負傷したのか、そこの判別は私には分かりませんが、通路にいくつかの死体といいますか人が横たわっているような状態は見ました」と当時の過酷な状況を振り返り、「もう二度とこのような戦争を起こしたくはないと思います」と語られた。
映像を見た竹野内は「サイパン島の戦争映画をやった時に、生き残った方に直接お話を伺えたことがあるんです。『戦争というのは敵の弾で命を失うと思うだろう?違うんだよ。総攻撃で一斉に撃ち始める、味方の弾で命を落とす人もたくさんいるんだよ。それが本当の戦争の恐ろしさだ』とおっしゃっていました。戦争を体験した人じゃないと壮絶な恐ろしさは分からないんじゃないかなと思います。絶対に繰り返してはならない、二度と戦争はいけないなと思います。そのためにも多くの方々にご覧いただきたいです」と力強く述べた。
奥平は「今年で22歳で、今回初めて戦争映画に携わらせていただきました。もしかしたら今後も戦争を題材にした作品に携わることがあるかもしれないので、そういった時にはこの『雪風 YUKIKAZE』で学んだことや受け継いだ気持ちを、歳を重ねても無くさずに残していきたいと強く思いました」と話す。
そして田中は「『雪風 YUKIKAZE』の制作に託してくださった二度と戦争は無いようにという想いを込めて、ご自身の辛かったことを思い出すのは身を削る想いだったかと思います。今井さんの想いに本当に感謝いたします。私たちはメッセージを知ったからには、制作したからには、次の世代の人たちに伝えていく義務があるんだなと改めて感じました」と語った。
最後に、竹野内が「今、私たちは当時、実体験をされてきた方々から徐々に話を聞くこともできなくなってしまって、時と共に戦争という現実味も薄れていってしまう中、改めて戦後80年というタイミングに、今度私たちが、今井さんからバトンを受け継いで後世に伝えていく責任があるのでは無いのかなと思っています。あの当時を生きた人々の心情を映画の中で皆さんと一緒に体感することで、その情景がより深く皆さんの記憶に残り続けていったら、本作を作った意義が少しでもあったのではないかと思っています」とメッセージを送った。