公式上映を前に、9月18日(木)、本作で主演を務めた松村北斗と奥山由之監督が釜山の地へ到着!韓国を代表する海雲台(ヘウンデ)ビーチを前に、釜山国際映画祭への意気込みを語った。同映画祭のA Window on Asian Cinema部門に選出された『キリエのうた』(2023年)以来2度目の参加となる松村は、釜山国際映画祭への参加について、「前回初めて釜山に来た時の感動も大きかったですが、今回は再び来ることができたという喜びや、奥山さんと一緒に来られたということが、こんな経験もあるんだと感動しています。」と期待に溢れる想いを述べ、今回初めて釜山国際映画祭に参加する奥山監督は「この作品が、釜山でどのように受け止められるのか本当に楽しみですし、何より日本の春夏秋冬がたくさん映っている作品だと思うので、釜山の海風を感じながら観ることができるというのがとても光栄です。」と、前向きな想いを語った。
松村は、韓国で楽しみなことを問われると、「イイダコを甘辛くしたチュクミと、韓国特有の甘辛く焼いたウナギも食べたいです」、奥山監督は「先ほどアワビ粥をいただきました。せっかくの映画祭なので、色々な作品を観たいと思っています。」と語った。
海外で初めての上映となるインターナショナルプレミア上映に向けて、松村は「初めて海外の皆さんに見ていただくということで緊張もしていますが、ちょうど昨日、日本での舞台挨拶を終えて、日本のみなさんからいいお言葉をたくさんいただいて、勇気をもって胸を張って韓国での上映を迎えられそうです。ありがとうございます。」と日本のファンへ感謝を述べ、「海外の方がどういう感覚、どういう視点で見るのか、正直未知な部分があるので、驚きや発見もある上映になると思います。今回の映画には「種子島編」として海が重要なパートもあるので、海が特徴的な釜山で上映をするということは、とてもリアルな温度感が伝わり、受け入れてもらえるのではないかと期待しています。」と期待に胸を膨らませた。また、奥山監督は「原作のアニメーションも韓国でたくさんのファンがいらっしゃるので、どのようにこの実写版を受け止めていただけるかというのを楽しみに思っておりますし、字幕はありつつも、言葉をこえた表情や映像ならではの表現もたくさんある作品なので、国境を越えて作品を届けられることを嬉しく思います。」と語った。

そして、9月19日(金)の19:30から、ソヒャンシアター新韓カードホールにて、インターナショナルプレミア上映が開催された。本作にとって、海外での上映は釜山国際映画祭が初めて。チケットは発売開始後、数分もたたぬうちに早々に完売!原作アニメ人気の高い韓国でも、本作の注目度の高さを伺うことができた。
上映後、松村北斗と奥山由之監督が、約700名の観客の前で、Guest Visit(舞台挨拶)に登壇。上映後、松村と監督が拍手に包まれて登壇すると、監督が「アニョハセヨ。」と、韓国語を使って挨拶。続いて、松村も「アニョハセヨ。松村北斗です。」と挨拶すると、会場からはキャーという黄色い歓声が。その後、奥山監督へモデレーター(MC)から「なぜ新海誠監督のアニメーションを映画化したのか」という質問がされると、「2年くらい前にプロデューサーの玉井さんからお話をいただいたのが始まりです。僕は、高校時代に原作のアニメを見ていたのですが、30代になってから改めて見直してみると、3つのパートからなるアニメーションのうち、最後の大人になった主人公の貴樹が抱いている、30代特有の、未来への不安や過去への未練など、そういったものが合わさった焦燥感、不安、焦りが、今の僕にもすごく重なり合いました。今の自分だからこそ、この原作を実写映画にできるのではないかと思って、オファーを受けました。」と制作の経緯を回答。松村さんへは、「どのようにこのプロジェクトに参加することになったのか。また実写映画で遠野貴樹役を演じるにあたって、どのように役作りをしていったのか」という質問に対して、「オファーをいただいた時点で、すごく怖いチャレンジだなと思いました。日本だけでなく、韓国の皆様もそうですし、世界各国にファンがいる原作で、ある意味、映画として一度答えが出ていて完成されている作品に、もう一度チャレンジするというのはすごく怖かったです。ですが、僕自身、もとから大ファンの原作だったので、お話をいただいてしまった以上、やりたいという気持ちを止められないというのが、この作品に挑むきっかけでした。」とオファーを受けた際の気持ちと原作への想いを告白。そして、「役作りで大切だと思ったのは、今言ったように、自分が好きな作品で、自分が好きなものを投影していたタカキというキャラクターだったからこそ、自分がこういうキャラクターでいたいという欲や憧れみたいなものを一度捨てて、きちんとこの人の人生と向き合うのに時間がかかりました。そこがかなり重要かつ難しい作業でしたね。」と原作ファンならではの苦労を語った。続いて、「松村北斗さんが三宅唱監督の『夜明けのすべて』に出演された際、夜空を見上げて星を数えるというシーンがありましたが、今回の『秒速5センチメートル』の中でも、星を見ながら色々な思いを巡らせるという部分が共通していて面白かった」という感想に、松村は、「どちらの作品にも星やプラネタリウムというものが共通していて、偶然にも北斗という僕の名前は星が由来なので、すごく縁深いものだなと感じています。人間の細胞をどんどんズームアップしていくと宇宙の様子と似た画像になるそうで、そのように人間は自分のことでも、小さい一つのことが宇宙のようにわからなかったりします。宇宙や星というのは、ある意味、人間の大きなテーマなんじゃないかなと思っています。」と自身の名前と作品の縁の深さについて語った。そして、監督へ、「この映画は1990年代初頭から2009年までの時間を扱っていますが、だからこそアナログ的な感性を非常に繊細に表現する撮影が中心となっているように見えました。特に、豊かな自然の質感を出すフィルムの映像が印象的でした。この映画はフィルムで撮ったのですか?」という質問が投げかけられると、「20年近い前の作品を改めて実写化する際に、どこか懐かしいけど新しいみたいな感覚の作品にしたいという思いがありました。そこで撮影はデジタルですが、それを後から、16mmのフィルムに焼き付けるフィルムレコーディングという特殊な手法を使って、フィルムにするという工程を踏んでいます。明るさが暗いシーンだと、デジタルはフィルムよりも、フォーカスを合わせやすかったり、再現度が高い状態で撮ることができます。それを今度フィルムに焼き付けると、フィルムを使って撮影したのとは異なる、再現度は高いのに質感はフィルムになるという、相反するものが混在するなかなか見たことのない映像感になっているのではないかとは思います。」と返答し、写真家であり映像監督ならではの技術的なこだわりについて語った。
その後、来場者からの質問に答えるQ&A方式で、『秒速5センチメートル』の制作についてより深堀った話が展開。「監督はMVも多く手掛けられていますが、映画を観ながらそんな感覚を覚えました。画面のワイドが狭いのかと思いましたが、そういう要素も取り入れられましたか?」という質問に対しては、「この作品は遠野貴樹の内面的な心の機微や揺らぎなどを掘り下げていった先に、誰しもが普遍的に感じるものに到達する物語だと思っています。貴樹という人物にしっかりフォーカスすることを意識したときに、あまりワイドではなく、少し横の幅を狭く撮ることで、真ん中に映る人物の内面にすごく集中できるのではないかみたいなことは思っていました。あと、ミュージックビデオの経験が活かされたことでいうと、先日、韓国の監督と話していて知ったのですが、日本の映画の撮影日数は、韓国の映画の撮影日数に比べてもすごく短いんです。現場での判断にもスピード感が求められるのですが、ミュージックビデオは半日から1日で映像を撮らなくてはいけないので、制作チームのチームワークが強くないと成立しない。今回のスタッフの方たちは、僕が今までミュージックビデオを一緒に作ってきた信頼関係を築き上げてきたチームで、柔軟に映画を作ることができました。クオリティの高い作品を限られた日数で撮ることができたのは、ミュージックビデオの経験が活かされたかなと思います。」と語った。そして、「『秒速5センチメートル』というタイトルについて、それぞれの速度がとても出ていて、会うために待つ時間や、月のスピード、宇宙船など、それぞれの速度の中で出会いと別れがあったり、偶然があったり、そういうことが感じられる作品だった」という感想に対して、奥山監督は、「『秒速5センチメートル』の魅力的な要素の1つとして、距離や時間は、いつ誰が、どこでどのように感じるかで、伸び縮みするということを描いている物語でもあると思います。貴樹にとって、例えば岩舟に向かう電車の中で、雪で電車が動かなくなってしまった時間は、たった数時間でも彼にとっては永遠のように長く感じたと思うんです。同じように距離にしても、例えば貴樹と明里は引っ越しによって物理的な距離が離れてしまったけど、文通というやりとりで心理的な心の距離っていうのは近くなったかもしれない。逆に貴樹と花苗という種子島で同じ学校に通う二人は物理的な距離は近いけれど、心理的な距離はなかなか縮まらない。そういう距離と時間というものの伸縮性を原作の新海さんが巧みに描いた物語だと思うので、そこに注目して見ていただけるととても嬉しいです。」とお客様に注目してほしいポイントを伝えた。最後に、松村に対して、「貴樹を演じながら、自分と似ていると感じた点はありましたか?」という質問が。松村は、「具体的な境遇は違うけれど、人にはそれぞれが生きるスピードがあって、自分がゆっくりなのか、どこかズレが生じていて埋まらないと感じることがあり、それが自分にとってネガティブなものであるということが、貴樹と根底にあるベースのムードは近かったかなと思います。」と貴樹との共通点について語っていた。