京谷 和幸
元選手
地元の強豪・室蘭大谷高校へ進学し、1年生から背番号10番を背負い、全国高校選手権に3年連続出場を果たす。卒業後はジェフ市原と契約し、プロサッカー選手になるという夢を叶えた矢先の1993年Jリーグ開幕半年後に交通事故で脊髄を損傷、車いす生活となる。
その後出会った車いすバスケットボールで新たな夢を見出し、2000年のシドニーパラリンピックから日本代表入りを果たすと、続くアテネ・北京・ロンドンと4大会連続でパラリンピックに出場。08年の北京大会では日本選手団主将を務めた。
競技者を引退した後は指導者としての道を歩み始め、車いすバスケットボール日本代表アシスタントコーチに就任。2016年リオデジャネイロ、自身5大会目のパラリンピックは指導者としての出場となった。
著書『車椅子のJリーガー』
著書『パラレル'08年北京パラリンピック日本選手団主将 京谷和幸の物語』原案
TBS『イブニングファイブ』
http://www.kyoyastyle.com/
(京谷 和幸オフィシャルホームページ「Kyoya Style」)
https://ameblo.jp/kyoya-style
(京谷和幸オフィシャルブログ「Kyoya Style」)