――映画『20歳のソウル』への出演が決まった時のお気持ちをお聞かせください
実話だということを聞いて、私が演じた妹の千鶴さんも実在している方なので本当に大事に演じなければいけないなと思って、その責任をすごく感じたのを覚えています。
――原作は読まれましたか?
原作は読んでいないんです。映画の中で描かれていないものが原作には書かれていたりするじゃないですか?その部分を考慮して演じている時もあるんですけど、作品によっては台本に書かれていることが全てになると思っていて、私はまず台本に書かれている内容だけをインプットして演じるようにしています。先入観にとらわれてしまう気がするので、原作があったとしても読むのは作品が終わってからが多いです。
――では、台本を読んだ感想はいかがでしたか?
一言で「苦しいな」という感想でした。千鶴さんとは共通点が多くて、私も兄が居てすごく仲が良いんですよね。千鶴さんの気持ちを考えると本当に終始苦しいな、という気持ちでしたし、撮影中に千鶴さんにお会いする機会はなかったんですけど、監督からこういうご兄妹でこういうご家庭で、と聞いていたので、当たり前ですけど生半可な気持ちで演じてはいけないなと思いました。あとは、千鶴さんはソフトボールをやっていたみたいで、私が野球の経験者ということで親近感が深まりました。

――どのように千鶴さんを演じられましたか?
一番は大義さんのことが大好きだったと聞いていたので、私自身も兄が好きなのでそこはありのままに演じていました。大義さんの病気が見つかった当時、千鶴さんは中高生くらいだったと聞いて、きっと受け止められない感情とか混乱があったのではないかと思いますし、でもお母さんやお父さん、おじいちゃんの気持ちが沈む中で、私だったらっていう考えなんですけど、皆の前では笑顔でいるように心がけていました。
――役を演じる中で、ご自身の中で印象的だったシーンは?
告別式のシーンで、本番が始まる前から涙が止まらなくなってしまって。演じていて、自分の家族が亡くなったっていう現実を受け止めなきゃいけないシーンで自分の感情がすごく落ち込んでいました。本番に限らず特に自分の心が苦しかったのは覚えています。
――それはやはりお兄さんがいるなど重なる部分が多かったから?
それはすごくありました。ずっと苦しかったです。告別式では大義さんの同級生が来てくれて黒板みたいなところに皆がメッセージを書いてくれるんですけど、その時に「実際にこれだけの方が来てくれて愛されていたんだな」って感情が強かったです。
――浅野大義さんを演じた神尾楓珠さんとは一度共演されていますが、神尾さんの印象は?
演じている時と普段のギャップが良い意味で無く、いつも平常心でいらっしゃるので自然と会話が出来ましたし、だからこそ私自身も神尾さんが演じる大義さんにちゃんと嘘がない感情で演技をすることが出来ました。
――お母さん役として尾野真千子さんも出演されていましたね
尾野さんは私がずっと大好きな女優さんなので、お会い出来ただけでも嬉しかったんですけど、一緒に演じることが出来て幸せでした。本当に素晴らしくて、尾野さんが演じるお母さんが本当に大義さんのお母さんであることに嘘が無かったです。

――尾野さんの姿から何か学べたことはありましたか?
休憩中もお芝居にずっと集中しているわけではなくて、素の尾野さんのままいらっしゃって、どこでスイッチを切り替えているんだろう?って不思議でした。よーい、はい!ってなった瞬間にパッと役に切り替わるので、圧倒されました。
――現場の雰囲気はいかがでしたか?
秋山監督が面白い方で、家のシーンでは楽しみながら臨めました。全然ピリピリした雰囲気も無くて、シリアスなシーンばかりではあったんですけど、本番以外はずっと笑っていました。
――監督からは演じる際に何か言葉はありましたか?
私自身、私そのものが千鶴さんとして生きられたら良いなと思っていたんですけど、その考えが監督と合致していたのか、監督も「平凡な女の子で居てくれたら良い」ということをおっしゃっていて、そのままで良いんだなと演じていました。
――撮影中、思い出に残っているエピソードは?
吹奏楽部の方が本当に演奏しているんですよね。きっと皆さん何日も何日も練習していて、大人数なのに音がちゃんと合っていたのがすごかったです。
――グッとくるシーンになったんですね
皆さんの作品に対する想いや大義さんに対する想いが伝わってきました。

――高校の吹奏楽部のお話となっていますが、池田さんは学生時代に打ち込んだものは?
野球ぐらいしかないんですけど……。小学1年から中学1年までやっていて、7年間それしか見えてなかったです。週5で練習していて、休みは平日に2日あるぐらいで土日は全部野球だったので、友だちと遊ぶ暇もほとんどなくて。当時は女子プロ野球選手になりたいってずっと言ってたぐらい毎日野球をやっていました。
――男子と混ざってやっていたんですね
小学校の時は私以外にも女の子がいたんですけど、中学では部活に入らずボーイズクラブに所属して、そこは部員が80人くらいいたんですけど、女子は一人でした。
――本気で野球に打ち込んでいたんですね
小学6年の夏が終わると引退しないといけないんですけど、夏以降は野球が出来なくなってしまうということで、合同で色んなチームの小6が集まってその年だけの選抜チームを作ろうという話になって、セレクションを行って選抜していただいたことがあります。
――それはすごい!
伊勢崎選抜っていうチームで、半年弱で7個の大会中6個優勝しました。
――『20歳のソウル』を通して、どのようなことを感じてほしいですか?
私自身が最初に思ったことは、大義さんのように一生懸命生きようって思いました。いつまでも時間があるとは限らなくて、明日死んでしまうかもしれないし……。でも大義さんは自分の命がもう長くないって分かりつつも、ずっと夢を追いかけていたし、目標をずっと持ち続けていたのでその姿が本当にかっこいいなと思いました。明日出来るからいいやとかではなく、今日のこの大事な一日を一生懸命に生きたいなと思ったので、見ている皆さんにも感じてほしいです。