文筆業をなりわいにしている主人公の“僕”は、時々仕事に行き詰まる。くっついたり離れたりの彼女との関係は最近微妙だし、うっすら苦手な編集者とも仕事上付き合わないといけないが、何とか折り合いをつけてやっている。
彼女と食べた横浜のシーフードドリアは、熱いソースを白ワインの冷たい酸味で流した。ゴールデン街には、うすいハイボールを飲ませてくれるバーがあったが、中島らもに似たあの店主は今どこにいるんだろう?夜勤終わりによく通っていた牛丼屋もなじみだった店員はもう居ない…これは、僕の「この味」にまつわる8つのストーリー。
高橋が演じるのは物書きとして生計をたてる“僕”。本作はその“僕”が日々暮らすなかでふと気づく食にまつわるエモい思い出が情緒豊かに描かれる。

<主 演>高橋一生 コメント
燃え殻さんの言葉には、日常の中に埋もれているはずの感情や記憶を、そっとすくい上げる力があると感じています。
『この味』もまた、食べ物そのものの話でありながら、そこにまつわる誰かとの時間や、言葉にならなかった思いまで浮かび上がってくる、豊かな作品だと思いました。
物語を読んだとき、味の記憶というものが、単なる懐かしさではなく、そのとき一緒にいた相手の気配や、自分でも忘れていた感情を呼び戻すものなのだと、改めて感じました。人は何を食べたかだけではなく、誰と食べたか、どんな思いでその時間を過ごしたかを、心に残しているのだと思います。
この作品には、強く声を上げるのではなく、静かに心に触れてくる魅力があります。その繊細さと余白が、この作品の中でどのように立ち上がっていくのか、私自身楽しみにしています。
ご覧になる方それぞれの中にも、きっとふと恋しくなる“誰か”や“ある時間”が立ち上がる作品になるのではないでしょうか。

<原 作>燃え殻 コメント
僕は大してグルメではない。担当の編集者から、「食にまつわるエッセイを書いてみませんか?」と言われたときは、すぐに断ろうと思った。「同じ料理でも、誰と一緒に食べたかで、記憶の残りかたが変わってきますよね」と続けて言われたときに、それはそうかもな、と思って、俄然取り組んでみたくなった。ある料理を口にしたとき、日常では忘れていた、いつかの誰かとの記憶のスイッチが、カチッと入ってしまう、ということはないだろうか? 彼女との最後の朝食になったシーフードドリア。父が作ってくれた油ギトギトの炒飯。JAZZよりサザンが好きな喫茶店マスターの浅煎り珈琲。「東京の母」と慕う中国人女性が豪快に握るおにぎり。電話越しだけど、一緒に食べた深夜のモナカアイス。僕の記憶のスイッチがカチッと入る瞬間──。坪田文さんの脚本を、ひと足先に読ませていただいて、そんな断片が、走馬灯のように美しく儚く展開されていく様に、早くも感動しております。高橋一生さんの演じる主人公と一緒に、恋しくなる瞬間に立ち会えることを楽しみにしています。