――桜井さんは芸能界デビューする前は、どんな高校生活を送っていましたか?
本当にバスケしかやってなかったですね。父は未だにミニバスのコーチをやっていて、兄も弟もバスケをしていて、本当にバスケ一家だったので日常の会話もバスケだし、周りの女の子がメイクやファッションに目覚めている中、汗臭くなりながらバスケに夢中になっていた青春時代だったので、プリクラを撮ったり女の子が楽しむような遊びが遅かったです。
――バスケを始めたきっかけはお父さんの影響かと思いますが、何歳からやっていたのですか?
幼稚園生の頃から気づいたらボールを持っていて、ミニバスは小学生からですが父がコーチをしているご縁で、特別に入れてもらって端の方でドリブルついたりとかしていました。父は30年ぐらいコーチを続けていて、子どもたちを教えたいという無償の愛みたいなものが無いと続けられないことで、プラス仕事もちゃんとしているので、年々父に対する尊敬みたいなものが大きくなってきています。私も実家に帰ったタイミングでたまにクラブチームに顔を出したりしているんですけど、皆微妙な反応をしますね(笑)。コーチの娘でもあり、OGでもあり、でも芸能活動もしている、みたいな、どういう対応をすれば分からない感じでドギマギされています(笑)
――バスケを続けられた理由はなんだと思いますか
負けず嫌いだったというのもありますし、楽しかったんだと思います。あとは父に認められたかったという想いもあったり。思春期が中3から高3にかけて3年ちょっとあって、父と口きけないみたいな時間があったんですけど、それは私も意地になっている部分があったというか、話したくても話せないみたいな気まずい感じになっていて。ただ、バスケさえしていれば繋がっていられるような気がしていましたし、本当にバスケ一筋みたいな父なので、バスケの話をしている時は本当に楽しそうですし、昨日も長文のLINEで教え子たちがこんなことあって、みたいなのがすごい来るんですよ!お酒が入ると寂しくて送ってきちゃうんだと思います(笑)

――バスケ漬けの日々から芸能界に入り、女優デビューとなった舞台ではかなり苦労されていたそうですが、今感じている舞台の魅力は?
初舞台の時は今までお芝居をしたことが無く、舞台に立つんだっていうプレッシャーが私にもありましたし、何より演出家さんもそういうプレッシャーや責任を背負っていたように思うんですよね。だから愛情深く、人一倍カンパニーの中でも目をかけてもらったなという感じはしていて。その時は精一杯で、楽しいというよりはやりきったっていう達成感を感じていました。そこから年一ぐらいのペースで舞台に立てていると思うんですけど、全然緊張するんです。去年は朗読劇をやらせていただいたんですけど、本番直前まで「出なきゃよかった……」っていうぐらい緊張して。でも思ったのは、皆が長いこと稽古をして1つの作品に向き合って本番を迎えますってなって、毎日違うんですよ。それはそれぞれのコンディションやお客様、色んな条件で舞台って変わるので、今日も違う、今日も違うってちょっとずつ感じ出してきた時に面白いと思えました。あとは1つの台本に長いこと向き合っていく中での気づきというのが無限にあるというか、その作業に終わりが無いというのはまた舞台の楽しいところかなと思います。
――これまで夢や目標に向かって努力する中、挫折や悔しい経験があれば教えてください
未だにオーディションに受かったことがないんです。色んなオーディションを受けてきましたけど、やっぱり受からないというのはその度にへこみますね。「オーディションなんて落ちるものなんだから」って励まされるんですけど、でも受かっている人がいて、今回はこの人が受かったんだというのをメディアで見るわけですから、その人と比べて自分の足りなかったものみたいなものを感じるというか……。でもそういうのは何度もあるというか、いつかはってどこかにあって、今に見てろよっていうような、自分の中で前向きに消化できているとは思っています。これを挫折と言っていいのか分かりませんが。
――桜井さんは気持ちが落ち込んだり、ネガティブになりそうな時にどうやって気持ちを持ち直していますか?
自分に期待をするということを大事にしていて、今、この時代はSNSとかがすごく発達していて、自分の評価が目に見えやすくなっていて。もちろんその声をバネに自分の活動に生かすというのは1つの手ではありますが、そればかりに振り回されていると自分が本当にどうしたいのかがだんだん見えなくなってしまうというか、だから私はネガティブな意見があっても、「いやいや、私はいつかやれるんだから」と自分が自分に一番期待してあげることで、ブレない自分でいられるような気がしています。この作品も、実は皆、自分に期待してるよねっていうのがすごく分かりやすく表現されているような気がしていて、いくら打ちひしがれていても捨てきれない希望を捨てなくていいというか、自分に期待をしているよねっていうメッセージを感じます。

――上京してから10年、コメント動画では東京にワクワクしながら怯えていたとコメントされていましたが、当時はどのような心境でしたか
上京したのが本当に目まぐるしく環境が変わったタイミングで、女優デビューをした初めての舞台もそのタイミングで、役柄も戦中戦後の話で中原淳一さんというアーティストに憧れた女学生だけどひょんなことからストリッパーになってしまうみたいな、激動の人生を歩んだ女性の役だったんです。初めてのお芝居でその役!?みたいな(笑)。でも今となっては良い経験をさせていただいたという感じですけども、ちょっと荷が重すぎるような役ではありました。あとは両親の言いつけというか、勉強はしていてほしいというので大学受験をして大学入学のタイミングで、初めての一人暮らしでって、色んな初めてに押しつぶされそうになっていた期間だったし、精神的にもちょっと不安定だったというか、絶対そんなわけないのに街行く人に悪口を言われてるんじゃないかとか。だから期待3割、不安7割で不安の方が大きかったかもしれないです。
――今見る東京の景色は違いますか?
今はもう怖いとかはあまり思わなくなりました。東京も好きだけど、地元の良さみたいなのに気づいたというか、昔は東京の方が物がたくさんあるし楽しいと思っていたけど、周りの俳優さんとか特に「東京は働く場所なんだ」っていう考え方で、別にお家を借りたりして仕事が無い期間は東京から離れるみたいな方も多くて、なるほどなと思って。東京が嫌いなわけではないけど、やっぱり岡山に帰ると肩の力が抜けるというか、東京にいると知らないうちにすり減っているんだなっていうのに気づかされて。昔は嫌だった岡山ののんびりした感じも好きになったし、東京に出てみて初めて気づきました。

――改めて魅力を再発見したんですね
あとは岡山で暮らしていると名物や名所を知らなくても生活できてしまうんですけど、東京に出てきて「岡山ってどんなところなの?」と聞かれることがすごく増えましたし、岡山を紹介する仕事もあったりして、そこで初めて岡山ってこういう良いところがあるんだっていう出会いがあったりしました。
――本当に岡山への愛が強いんですね
強いと思います。やっぱり地元というのは育ててもらった場所でもあり、岡山だからっていうので応援してくださっている方もたくさんいると思います。今でこそあまり聞かなくなったんですけど“岡山の奇跡”というキャッチコピーで背中を押してもらったりもしていたので、岡山に対する特別な感謝と恩があります。なので、岡山の方にもぜひ観に来ていただきたいですね!大阪公演があるので、車や新幹線で来ていただきたいです。
――この舞台はどんな方に観ていただきたいですか?
世代を問わず、男女ともに観ていただきたいと思っています。青春時代がとうの昔に過ぎてしまったような世代の方にもとても刺さる作品なんだろうなって勝手に思っているんですけど、青春のような戻れない時間って時が経てば経つほど自分の中で尊いものになっていくような気がしていて。なので、上の世代の方はよりこの作品の眩しさと酸っぱさと、あとは自分に対して希望を感じられるのではないかと思います。たとえどんなに青春が酸っぱかったとしても、その酸っぱさって忘れちゃうと思うので、その忘れちゃっていた部分を良い意味で思い出してもらえるような作品になれば良いなと思っています。


撮影:秋葉巧、ヘアメイク:Hitomi(Chrysanthemum)、スタイリング:阿井真理
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