©2026「平行と垂直」製作委員会

 

――大貴を演じる上で核として持っていたものはなんだったのでしょうか?
やっぱり妹がいる中で出来上がっていっていたものだと思います。前提として、兄妹でずっと一緒にいて、苦労を乗り越えてきて、妹に迷惑をかけていたというのも、自覚があるのかないのか分からないところだけど、僕はさくらんぼ教室に行って、感情を持っていて起伏もあって、意識している感情も理解していて、感情を持っていることを俯瞰的に見ていることもあるだろうなと思ったんです。だから必然的に、妹に心配や迷惑をかけてきただろうということも、全ては理解しきれなくても記憶に残っているのは軸にあるんだろうなと思っていたんです。だから、その時の体験をもとに、大貴を真ん中に置いていました。妹と生活してきた中で、小学生の頃に友だちに「兄ちゃん怖いわ」って言われているところとか、体のどこかに沁みついているというのは意識していました。大貴の中に人生の全部の何かがへばりついている感覚でずっといました。
――安田さんの大貴は、すごく自然なお芝居に映っていました
今まで舞台とかドラマとか映画とかでもこの感覚になったことが無かったんですけど、今回「お芝居としてナチュラルで良かったです。すごかったです」と言われた時に、初めて違和感がありました。僕の中で多分、大貴の道が出来上がっていて、キャラクターを演じたというより、大貴として映画の中にどっぷり浸かって、その後も大貴は生き続けているという感覚が完璧にあるんだとはっきり思えたんですよね。それが今まで演じてきたものと全く違う視点で、自分の中にあるからだと思います。
――妹・希を演じたのんさんとは、本当の兄妹にしか見えない距離感でしたが、その空気感はどのように作り上げられたのでしょうか?
役柄のことでのんちゃんとほとんど話していなくて、のんちゃんが妹として僕に投げかけてくれる言葉の温度、湿度、風速みたいな、ヒリヒリ感とか質感を、感覚で吸収して、時代背景と現状と続いていく未来を一生懸命身にまとって、空間として感じて、それを自分なりに返して、受け取ってくれたのんちゃんが返してくれて、という現場のやり取りだけでした。
――希の「私の人生邪魔しないで」というセリフや、大貴が希の頬を触りかけて触らないシーンも印象的です。あのシーンも自然と作り上げていった形でしょうか?
もちろん台本に流れは書かれているんですけど、どのタイミングでどれぐらい触りに行くかというような具体的なことは書かれていなかったので、どのぐらいの距離感で触りに行くか、間合いも含めてのんちゃんと僕との距離感でした。現場でリハーサルをしていく中で決まったはずです。川沿いのシーンも、のんちゃんが僕に対して「あんた分かってたんやんな」と言い、最初は気持ちがテンパっていて、とりあえず一回座って、自分のやってしまった事態とまだ頭がテンパっている状態が続いていく中で、希の結婚がなくなってしまったらどうしよう、というようなことをどこかで少し理解しているのかしていないのかも、全部現場でやり取りしながら整えていっていました。
――ライブ感のあるお芝居だったんですね
僕はどちらかというとライブ感でのんちゃんとエネルギーをやり取りしていました。僕はその場その場で起きるエクスプロージョン(爆発)を大事にしてやっていました。

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――今回、安田さんのトレードマークでもあるサングラスを外してお芝居に挑んだことは、かなり覚悟があったのではないでしょうか?
僕自身、サングラスを外すということは命を懸けて仕事に挑むということなんですよね。啓蒙活動じゃないですけど、サングラスをつけて良いんです、ということを世の中に発信したい人なので、発信しているのにもかかわらず、今回は仕事の時にサングラスを取って照明が当たる中で仕事をするという、啓蒙とは逆のような行動を起こしていたんです。なぜそれをするのかというと、何で区別とか、分けたりするの?ということが自分の中にすごくあって、それを作品で伝えたかったからだったんです。皆もっと、静かに待つ時間や見守る時間を持ったり、答えをゆっくり出せるタイミングまで、受け取るまでちゃんと待とうよと思っていたし、僕自身も言語として伝えるのがどちらかというと得意ではなくて、その空気で伝わることとか、時間をかけて相手の目を見ることによって、相手の目の奥の言葉が聴こえてきてキャッチする考え方で発信してきた側だったので、だからもうちょっと皆、しっかりと時間をかけて向き合おうぜってことを、今、改めて伝えたかったんです。その子たちがちゃんと感情を持って伝えていることを理解しようよ。分からないまま勝手な行動を起こすことによって、そこで触ったり騒ぎ立てたりしたら、理解がある人からしたら絶対やっちゃダメなことでしょ?それをまず学ぼうよ、って。その入り口になってくれたら良いなとも思ったし、僕自身はそれをしてほしくない人だったから、自分から伝えに行った形でした。
希のセリフに「お兄ちゃんの本心を、言葉として聞けるものなら聞きたかった」という言葉があるんですけど、僕は目の奥を見て相手の感情を知るということを大事にしていて、海さんにそれを伝えたら言語化してくれて、あの言葉が出たんです。そういう流れもあって、メガネを外して届けた理由は、自分自身が今、改めてちゃんと皆に伝えなきゃいけない、自分のやるべきことなんだなと理解しているからだと思います。
――ご自身が病気と向き合っていることが、この作品へ何か作用した部分はありましたか?
病気をしたからこそ、今の自分だからこそ、受け止めてくれる人もいるんじゃないかなと思ったし、体験した人が届けようとすることは、異物が入っていない、ダイヤモンドのように磨けば光るように、より研磨された純度の高い心になっているんだろうなと自分でも思います。これを自分で言っても恥ずかしくないと思えるように心がちゃんと変わってきて、昔はこういうことが恥ずかしいって思っていた自分がいたと思うけど、病気をした後に「偽善ですよね?」ってもし言われたら、「いいえ、違います」とはっきり胸を張れるようになったんです。そのお陰で今、こうやっていろんな人に対して伝えられるようになったんだと思います。だから、メガネを外してでも届けるべき必要があったんだと。もしメガネをつけながら演じていれば、伝わり方が少し曲がっていたなと思っています。
僕がやろうとすることによって、揶揄する人もいると思っていて、それを受け止めるのも大前提として取り組みました。全てを受け止める器がなければトライしちゃいけないことだと思うし、でも僕の中ではこれをトライとも思っていなくて、届ける必要があるから、ただ届けた。変えていかなきゃいけないから変える努力をした、っていうだけのことだったんですよね。だから多分、海さんからの提案に二つ返事で「やろうよ。やるべきでしょ」っていうことだったと思います。

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――近年、テント芝居や音楽フェスの開催など、安田さんご自身が主体で動くことが増えてきている中で、今回の『平行と垂直』が完成した際はどのようなお気持ちでしたか?
もちろん喜びとかたくさんの人に見てもらいたいとか思うのはきっと当然のことですよね。その中で、何よりマックスの人数が多ければ多いほど良いんでしょうけど、ミニマムの人たちがどれだけ心の雪解けをしたか、点と点が繋がって心の中で握手をしてくれたか、気づきになったとかということにフォーカスしていて、制作するということはこういうことなんだなと、望むものは今伝えたことなんだなって思いました。
大勢の方に見てもらえば、それがまた広がっていくのは事実なので、見てもらう必要はあると思いますが、生きた作品、血が通ったものは、届ける必要がやっぱりあるし、これからもやる必要があるんだなと思っています。
――そのように意欲的に取り組める原動力みたいなものは何でしょうか?
今まで気づけていたはずの感覚とか感性に蓋を閉じて、気づかないようにしている人ってすごく多い気がします。触れてしまうと怖いし、未知のものに触れるので傷つけられてしまう可能性もあるし、気づいたことによって絶大な情報量の波に流されて壊されてしまいそうになるかもしれない。そういうことが結構あると思っているからこそ僕はそれを逆にノックしてもらえるように、目の前に置いていく作業が必要なんだなと、制作に一緒にかかわらせてもらって、そう思っています。だから、やり続けたいなと思うんでしょうね。
今回はASDの映画でしたけど、前々からずっと言っているんですが、僕は手話を言語として覚えたことが過去にあるので、手話の夫婦を題材にした舞台を作りたくて、いつかどこかでそのノックしたものが開くタイミングが来ると考えれば、自分のアンテナが導かれる方にちゃんと反応して、一つ一つをピックアップして届けていくことをやろうって思いました。『平行と垂直』のお陰で改めてそう感じられています。
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