――大河ドラマ『豊臣兄弟!』は第26回の放送を終え、織田信長にとって佳境を迎えています。作品が進む中で、小一郎(秀長)と信長、秀吉(池松壮亮さん)と信長の関係の変化をどのように捉えていますか?
- 織田信長のキャラクター設定は、豊臣兄弟を演じているのが太賀くんだから、池松くんだからというのが大きなベースになっていて、彼らのピュアでまっすぐな姿勢を現場で見せてもらったお陰で出来上がっていると思います。
秀吉は、『豊臣兄弟!』の世界においては、信長にとってなくてはならない存在になっていき、それでいて自分に欠けている部分、自分にはない感覚を強く持っています。想像を軽く超えてくる秀吉を見るにつれ、大事な駒として置いておきたいという想いが増していったと思います。一方で、秀吉はミスが多く、信長の言ったことにしばしば背くので、よく許したなって感じではありますが。立場として彼を簡単に許してしまうと他への示しがつかないことがいっぱいあっただろうなと思うので、許すに許せないみたいなことは何度か続いていったと思います。
今作では描かれていませんが、信長が“うつけ”を呼ばれていたような時代は、彼も明るい世の中を作りたかったのではないでしょうか。もっと経済的に豊かで、色んな貿易がなされていく新しい世の中をイメージしていたけれど、あまりこの時代の人たちに理解されなかったことが、彼を破壊の方向に進めさせてしまった。同じビジョンを持てる人間があまりに少ない状況の中で、蹴散らすしかないと動いてしまったら、自分が破壊神になってしまっていた。それは彼にとってそうせざるを得なかったことだと思います。その時に、自分の横で人々を喜ばせたいとか明るい未来を見たいとか言っている秀吉は、置いておきたかった家臣だったのではないでしょうか。自分の判断や考えが狂わないための最後の指針のように見えていたんじゃないかなと。
――小一郎についてはいかがでしょうか?
- 秀吉の横で色々と知恵を絞って動いている小一郎は、出会った当初は秀吉よりも使える存在だと認識していたけど、途中からはだんだん鬱陶しくなってくるんですよね。少し疎ましい存在ではあるけれども、兄を案じて何とか助けたいと動く姿を見ると、信長にとっては傷をえぐられるというか、自分が作ることができなかった世界を突き付けられる瞬間だったんだと思います。

――撮影を通して、仲野さんと池松さんからどのような影響を受けられましたか?
- 太賀くんと池松くんはいつも、きっとこうなるんじゃないかと思っていることを軽々と超えてくるお芝居を見せてくれるので、お陰でこっちも何度も引っ張ってもらっています。秀吉を演じている時の池松くんには怖さを感じる狂気性みたいなものがあり、ただただ明るいだけじゃない秀吉が、一緒に芝居をしていると突き刺さってくる部分もありました。太賀くんは小一郎と向き合っている時も、優しさみたいな、得体の知れない丸みを非常に感じる瞬間がありました。
それでいて、これは僕が勝手に思っていることかもしれませんが、あの二人が今まで演じてきた中で、間違いなく信長を愛しているという姿をずっと見せてくれたので、そのお陰で、(信長も)君たちがずっと僕のことを愛してくれているなら、僕も愛されているつもりでやる、みたいなところはたくさんあったと思います。
――信長を演じていて、信長の生き方や人生、考え方で共感できる部分はありましたか?
- やりすぎなところがいっぱいあるので、現代を生きている自分からするとなかなか理解できないことの方が圧倒的に多いです。ただ、織田信長がなぜここまで人を魅了する人物なのか、池松くんとも話した時、英語の神の語源は「G.O.D.」(Generate / Operate / Destroy)という説がある、と聞いたんです。信長みたいな破壊神がいて、想像する秀吉がいて、それを動かしていった徳川家康がいる。そして「昔から破壊神が人気あるんですよね」と。今回の信長は破壊神であることを決めた人だと僕は思っています。自分が破壊し続けるので、次の創造や維持はお前たちに任せる、という気持ちだったのではないかと思いました。
本来、彼が思い描いていたであろうものからどんどん離れた世界になりそうな時に、軌道修正してくれる新たな考えを持っているのが秀吉。そこに自分がいなくても、彼が台頭した時には、もう一度そういう夢を見られるんじゃないかと思ったのでないかと。そこで自分が破壊を選択するところは共感できますし、そういう意味で、今回自分が作り出した織田信長は、本作の織田信長として良い表現ができたんじゃないかと思っています。

――織田家家臣団の方々とのお芝居で印象に残っているシーンはありますか?
- 第25回で信長が家臣団に相撲を取らせて、老臣一人一人追放していくシーンはすごく良いシーンになっていると思います。織田家家臣団が集まっているんですけど、それぞれの心情やこの状況をどう受け止めようとしているのかがしっかり描かれていて、信長が死んだ後にそれぞれが戦わなければいけなくなっていく関係性が見えると思ったので、撮っていて楽しかったです。それでいて、林(秀貞)を演じた諏訪(太朗)さんも、(佐久間)信盛を演じた(菅原)大吉さんも、去り際がものすごく美しくてかっこよくて、そういうシーンが撮れて良かったなと思いました。
――信長を演じて、小栗さんの人生観や仕事観など変化したものはありますか?
- 今回、信長を演じる大きな理由は太賀くんと池松くんの存在でした。真摯な姿勢もそうですし、演じるということをすごく信じて、まっすぐ向き合っている二人とお芝居ができたことで、改めて自分も芝居をするということにちゃんと向き合いたいという想いを抱かせてくれたのは財産ですね。
信長は僕の中でものすごく強い存在というイメージがありましたが、今回演じさせてもらった信長はあくまで人間であって、その人間にはものすごい大きな葛藤や迷いがある中で生きている。僕らと何も変わらない存在がちょっと偉大になりすぎてしまっただけだ、と感じることができたのも良かったです。

――大河ドラマへの本格的な出演は『鎌倉殿の13人』(2022年)以来となりました。『鎌倉殿』で1年間主演を務めた経験が今回作用した部分はありましたか?
- 大河ドラマの面白いところは、馴染みのスタッフさんがどんどん増えていくところです。それがすごく嬉しいですし、やればやるほど「おかえり」と受け入れてくれる人が増えていく、すごく素敵な場所だと思います。
逆に、人間は不思議なもので、忘れるものなんだなと思います。4年前、大河ってめちゃくちゃしんどかったなと思ったんですよね。それを忘れて4年後にまた10ヶ月ぐらい参加していて。「だからお前あの時そう思ってたじゃん!やっぱり大変なんだよ、大河って」と思ったので、次からはできれば2、3ヶ月の参加の役でやっていきたいなと思うようになりました(笑)。
――再びやりたいと思えるぐらい魅力があるということですよね。
- 魅力もありますし、一度、ちゃんとした織田信長は演じてみたかったので。以前演じた時はちょっとフェイクだったので(笑)、今回その夢が叶って良かったなと思っています。

――昨年10月には名古屋まつりにも参加されましたが、いかがでしたか?
- 熱気がすごかったですね。一生に一度だろうと思うぐらい、あんなに人の顔を見ることも無いと思いましたし、太賀くんも言っていましたが、完全にスターになった気持ちになりました。パレードも初めてで、優勝した野球チームやオリンピックの選手とかしか体験できないものだと思っていたので、貴重な経験をさせてもらいました。
――ちなみに大河ファンの中では“小栗さんの首の傾き”が注目されていますが、認識はありますか?首の傾きは意識されているのでしょうか?
- 認識はしております。自分としてはそこを意識していたわけではないですが、武将役の人は、位が高くなればなるほど、ビシッと座っていなきゃいけないみたいなものは結構見ていたので、信長に文句を言う人がいないなら、どんな姿でいても良いんじゃないかと思ったところが始まりです。それを『鎌倉殿』でもやっていたので“小栗旬が傾くとヤバい”みたいに言われていますが。なので、逆に後半はあまり傾いていないかもしれないです。信長にもう少し威厳が出てきてからは、「傾くとヤバい」と言われているから、今度は傾かないようにしようかなと、まっすぐ座っているのも増えたと思います。






