
今回解禁となったのは、戦後日本を懸命に生き抜く子どもたちと、彼らを支え未来へと繋いだ大人たちの姿を捉えた場面写真と新予告編。映画『ゴジラ-1.0』で第96回アカデミー賞視覚効果賞を受賞した白組のVFXチームが圧倒的クオリティで蘇らせた戦後日本を舞台に、登場人物たちの悲しみ、憎しみ、そして希望が交差する人間ドラマが切り取られている。予告編では、戦争によって一変した世界を「少年」と偽り必死に生きる琴子が、「私は自分がどこの誰だか分からなくなりました」と悲痛な叫びを上げる姿が胸を打つ。絶望の暗闇の中、自分を見失いそうになりながらも懸命に生きる子どもたちと、彼らの未来を信じて手を差し伸べる大人たち――それぞれの想いが交錯し、たくましく明日へと突き進む姿を捉えた、エモーショナルで迫力溢れる映像となっている。
広島出身の西川美和監督は、幼少期から身近だった「戦争」というテーマをキャリア初期はのがれていたい気持ちがあったという。しかし前作『すばらしき世界』(20)の制作過程で、戦後実在した12万人を超える“名もなき子どもたち”の存在を知り企画が始動。戦後81年を迎える今、戦争を知らない世代が未来に伝えていくことについて「戦争とは何だったのかを描き直すことは、作り手が果たすべき役割ではないか」と語る。
本作の監修を務めた、児童福祉論の第一人者・浅井春夫氏(立教大学名誉教授)は本作について「戦争孤児たちのかすかなろうそくの灯りのような希望に寄り添う、西川監督の一貫した姿勢=歴史的想像力が全体を貫いている」と、強く感じたという。「戦争孤児たちの敗戦直後の時代から、戦後史を生き抜く姿を想像する努力と事実を知ることは、現代を生きる私たちの人間としての責任ではないかと思います。「わたしの知らない子どもたち」は、わたしの知らない若者たちとなり、おとなたちになり、そして年老いている人々となっている現在、歴史的想像力を働かせて、想い続ける戦争責任の記憶の継承者として、戦争孤児問題を考え続けたいと心に刻みました」と未来へと語り継ぐ本作の持つ意義を語る。浅井氏は本作について「『火垂るの墓』とはまた異なる事実の再現性に特徴がある」と、戦下に生きた子どもたちの儚くも切ない姿を描き、時代を超えて人々の心を揺さぶり続けてきたアニメーション映画の金字塔『火垂るの墓』(1988)を挙げる。「火垂るの墓」がアニメーションならではの“ファンタジー”という側面を持ちながら兄妹の生きざまや節子の死を通して、戦争の非人間性を浮き彫りにした名作であることに対し、『わたしの知らない子どもたち』は、生身の人間が戦争体制に組み込まれ、いかにして過酷な戦後を生き抜いたかという子どもたちが戦後をサバイブしていく物語を通して、“戦争を自分自身の問題として考える作品”だと分析。「この作品を通して、歴史的想像力を働かせ、戦争責任の記憶の継承者としてこの問題を考え続けたいと心に刻みました」と、作品が放つリアリティと現代的な意義に強い感銘を寄せる。さらに映画評論家の松崎健夫氏は「戦後間もない時代を生きた市井の人々の視点で描かれた今作は、戦争に巻き込まれてしまった子どもたちの過酷な現実を提示することで、「戦争の悲劇」=「戦場の悲劇」だけではない、或いは、<大人の理屈>だけで戦争を考えてはならない、と私たちを戒めるだろう」と、現代社会へと鋭い警告を鳴らす本作の凄さを絶賛した。
琴子の元教師・曽根文美子を演じる二階堂ふみもまた「いまこの社会を作っている、大人の方たちもこの作品をみるべきだと思いますし、戦争というものは本当に起こしてはいけないということをまっすぐにこの作品と共に言えるようになってほしいなと思います」と、今この作品をみる意義を語る。また新興ヤクザの組長・菊沢を演じる岡田准一は「西川監督の作品を心待ちにしていたひとりとして、映画として面白いことの一歩先、社会性が含まれていて、なにか問いかけるものを感じる緻密な台本だと感じました。いい映画だと感じるだろうし、願いも込められるし、希望も込められるし、矛盾を感じたり、悲しさも感じたり、いろんな感情が問いかけてくる、それが西川監督のマジックだなと思いました」と、物語が秘める多面的な魅力と観客へ投げかけられる普遍的な問いの大きさを熱弁。「「火垂るの墓」の後継作はこの作品。今観るべき作品」とも語っており、本作もまた“戦争について考える”一歩となる作品として、世代を超えて多くの人々の心を強く揺さぶる作品になるはずだ。













