――デビューのきっかけは?
実は、オーディションでもなければ、スカウトでもないんですよ。幼稚園の頃からピアノを習い、自分で作曲をしてはいたんですが、積極的にライブ活動してたいわけでもなくて。ただ、たまたま全国ネットのテレビ番組『親の目・子の目』というドキュメント番組に、兄妹デュオとして一歳下の妹と出演したことがきっかけで、番組を見ていた音楽プロデューサーの方からお話を頂いたんです。
――小さな頃から、プロを目指していたんですか?
音楽をやりたいという気持ちはありましたが、当時“デビューする”ということが、どういうことなのかあまりよく分かりませんでした。“デビュー”って漠然としているじゃないですか。だから、なぜ歌を歌うのかということを相当考えましたね。自分がやりたいと思ったことを、自分自身で確信できたのも、ある程度経験を重ねてからでしたし。最初から、プロとして音楽をやりたかったのかというとそうではなくて、試行錯誤しながら、ようやくやりたいことが見えてきたという感じです。

――最初のレコーディングのことは憶えていらっしゃいますか?
初めてのことだったし、ワクワク感と不安が入り混じっていて、緊張しましたね。今までは、自分から湧き上がってくる想いや、自分自身を表現する一つとして歌を唱っていたんですよ。でも、レコーディングとなると、フィーリングももちろん必要ですが、マイクにしても機材にしても自分の声のボリュームにしてもレコーディングの仕方があるし、僕一人だけではなく沢山の方が関わる分、色々な意見や思いがあるのでどうやったら自分の作り出したいものを提示して伝えられるのか、悩みました。大変でしたが、僕にとってはデビューするということはどういうことなのか、再認識できた場です。
――デビューした年に『第34回 日本有線大賞 新人賞』を受賞されましたよね。これは自信に繋がったのでは?
その年にリリースされた何千曲の中から選ばれたのは、純粋に嬉しかったです。賞をいただけるのは名誉のあることですし、僕のリリースした曲を“良い”と言ってくれた方がいたということなので。ただ、2001年8月にデビューをして、12月に賞を頂き、その期間にシングルを2枚、アルバムを1枚リリースし、とても忙しかったんですよ。自分自身で曲も詞もアレンジも、全てやっていたので、ライブでお客さんのレスポンスを直に感じる機会をあまり作れなくて。だから、実際はどれくらいの反響だったのか実感できなかったんです。でも、賞を頂いたことで、この期待を次にどうやって皆さんに返していこうか、ということを考えさせてくれました。