――デビューのきっかけは?
映画『死者の学園祭』という作品で、深田恭子さんの相手役を一般公募でオーディションを行っていて、それを知った母が、何を思ったか応募をしたんです(笑)。それから、書類審査を通過したというハガキが届いた時に、母から「オーディション、行ってきなさい。」と言われ、3日間のオーディションに参加し、最終審査まで残りました。その審査では落ちてしまったんですが、審査員の方が「やってみない?」と声を掛けて下さり、今の事務所(トライストーン・エンタテイメント)を紹介してもらったことがきっかけです。
――芸能界には興味を持っていたのですか?
いや、全く(笑)!芸能界というイメージが、僕の中だと“歌って踊る”みたいな感じだったんです。 役者という存在も、もちろん知っていましたが、職業として認識していなかったし、別世界の人たちのことだと思っていたので、興味もそんなに持っていませんでした。なにより、僕の中の“芸能界”=“歌って踊る”のイメージが強すぎて、絶対イヤだと思っていたんですよ(笑)。母も、オーディションを受ける一ヶ月前に「タップダンスをやりなさい。」と急に言い出して、「はっ!?なんでタップダンス!?」って(笑)。 そういうこともあり、芸能界には全く興味がなかったですし、事務所を紹介してもらってからも1年くらいは、やる気があまり出ませんでした。その頃は、お芝居のレッスンを受けていたんですけど、高校に通っていたので友達と遊びたいし、稽古場に行くまでに片道2時間もかかるので、全然行ってなかったですね。

――それが、仕事として楽しくなった理由は?
現場慣れするために、先輩の小栗旬君が出演するドラマに出させて頂いたんですが、監督が台詞を一言だけくれたんです。でも、いざやってみると、短い一言が言えないんですよ。演出をつけてもらいながら8回くらい撮り直しをしたんですけど、それでも出来なくて。監督だけでなく大勢のスタッフさんもいるし、エキストラの方もいるし、本当に申し訳ない気持ちと、出来ないことが悔しくて、レッスンには絶対に行こうと思いました。レッスンに通い始めてからお芝居の楽しさが分かるようになり、一つ一つの現場で色々な人達と出会って、「この仕事でやっていけたらいいなぁ」と思うようになりました。
――ちなみに、もしこの仕事に就いていなかったとしたら、どんな仕事をしていたと思いますか?
思いつかないなぁ・・・、浪人してるんじゃないですか(笑)!?24歳にしてまだ大学浪人(笑)。
――ということは、今の仕事は自分に合っているということですよね。
興味のあることはいっぱいありますけど、実際に動き出すほど惹かれるものはこの仕事以外ないですし、この仕事をしていない自分が想像できないし・・・。だから、母親には感謝してます。

――ドラマや映画で沢山の現場を経験されていると思いますが、今までで一番辛かったことはなんですか?
『ウォーターボーイズ』です。泳げないのに皆と合宿所に缶詰にされ、朝6時から泳がされ、地獄のような合宿が終わって「やっと水泳から開放される!」と思ったら、撮影中も週に一回、シンクロのレッスンがあって「はぁ~・・・(溜息)」と(笑)。でも、仲間もいたし、観てくださってる方も沢山いたので、『絶対成功させてやる!』という想いがあったから出来ましたけど、これが仕事じゃなかったら絶対にやらなかったです(笑)。泳げるようになるまでは、本当にしんどかったです。
――では、仕事をしていて良かったと思うことは?
唯一僕が自慢できることだと思っているんですけど、今までの仕事が、良い現場、良い人、良い作品ばかりで、こういった場所に居られることは幸せだなと思っています。それと、一緒に仕事をした方とまた一緒に仕事が出来る時、今まで離れていた間にどれだけお互いが成長したかを見せ合ったり、話をしたりできることが凄く楽しいし好きですし、自分の出演している作品を観てくれる方や応援してくれる方がいるということも、この仕事ならではの醍醐味だと思います。