――デビューのきっかけは?
保母さんの免許を取るために、新潟から上京したんです。その短大2年生の時にたまたまスカウトされました。
――その時に、すぐ“やってみよう!”と思われたのですか?
いや・・・、私は本当に新潟の田舎育ちだったので、全く縁のない世界というか夢の世界だと思っていたし、両親は、短大に行くために家を出ることすら渋っていて、女子寮が絶対条件というくらい厳しい家だったので(笑)。両親は大反対でした。
――その後は、ご両親を説得して?
実は、そこまで“芸能界に入って仕事をしたい!”と思っていた訳ではないんですよ。だから、説得とまではいかなかったんですが・・・、すぐに実家に帰りたくなかったんでしょうね、本当に安易な考えなんですけど(笑)。20代でこちらへ出て、夢を持ってまっすぐに進んでいる人って本当に凄いなと思うんです。でも、当時の私を含めて、迷ったり悩んだりしながらだんだんと自分が何をしたいのかを見つけていく人の方が多いんじゃないかなと思います。

――でも、結果的に、スカウトが自分の道を開く一歩になったわけですよね。
そうですね。その時は、本当に縁がない世界だと思っていたので驚いたんですけど、どんどん経験をしていく中で、『面白いから次もやってみたい!』と思ったり、その逆で『辞めちゃおうかな』と思ったりした時もありました。
――続けていきたいと思わせたのは、何だったんですか?
転機になった作品があるんです。それは、篠原哲雄監督の映画『オー・ド・ヴィ』という作品で、26歳くらいだったと思うんですが、撮り終えたときに達成感があったんです。その時、自分の中にあるものを全て出し切ったというか・・・。その作品がきっかけで、自分の知らなかった気持ちに気付けたし、この仕事をやっていきたいと思えました。きっと、皆は20代前半で同じようなことを感じてるんだと思うんですけど(笑)。私は成長が遅かったのかも(笑)。

――その後も、映画やCMと活躍されていますが、映画『ミラクルバナナ』がいよいよ東京でも公開されますね。簡単にストーリーを教えていただけますか?
私が演じる三島幸子が、タヒチに行けると勘違いをして外務省の海外派遣員に応募し、ハイチに赴任するところから話が始まるんですよ(笑)。ハイチに降り立ち文化の違いを 感じながら、鉛筆も紙も買えない子供達に何か出来ないかと考えていたところに、ひょんなことからバナナから紙が出来ることを知るんです。そこからバナナペーパープロジ ェクトを立ち上げ、奮闘していく過程が描かれています。
――小山田さんと幸子とリンクする部分はありますか?
幸子の台詞に「まぁ、なんとかなるっしょ!」というのがあるんですけど、最近私もこんな気持ちで過ごしてます(笑)。本当にポジティブで前向きなんですよね。大変なことなのに“まぁ、なんとかなるっしょ!”という精神でやって退けてしまう、あの気負いのなさは、憧れます。私も、その精神はある反面、細かいことで悩んでしまうタイプなので、羨ましいなぁと。
――どんどん前に進んでいく女のコですよね。
だけど、それが押し付けがましくないというか、自然なんですよ。周りの人は一見、幸子に巻き込まれているように見えるんだけど、巻き込まれた人達もイヤな感じを受けてないと思います、たぶん(笑)。